浅草に来て25年ぐらいなるのでしょうか。3坪ぐらいでカッティングの機械を入れて以来場所も浅草の中で4回移転して今の場所にいます。

パソコンが使えるので楽しい商売だと思ってました。X1turbo、X68000で最初のころは、仕事もなかったので遊んでた記憶があります。

最初の入れた仕事用のパソコンは三菱のマルチ16でmimakiの北斎A2版プロッターで何とかだましだまし適当にカッティングシートを切っていて、ロゴ入力はカーソルの点入力。まだ、スキャナーがなかった。そのあと、epsonからスキャナーが出てきた。カッティングの機械1式で300万はしていたはずです。漢字の文字は1書体20万30万の時代です。近所の人はおかしなことやっているなと思っていたでしょうね。電脳切文字加工と言う名前を取材にこられた新聞社の方から頂きガラスに貼っていた記憶もあります。また、この頃F1の中嶋さんの事務所から切り文字の以来が来て何度かF1に貼る文字とか言って切っていたこともありました。中嶋さんが鈴鹿のレースに出たいた頃の話です。家の前を村島さんが通って仕事をいただきました。確か中嶋企画は中嶋さん、村島さん、福田さんの3人で始めたようです。以前「立風書房」LE VOLANTの仕事をしていた時に福田さんが中嶋企画に行ったことを聞いたのでこんな偶然があるのかと驚きました。村島さんからいただいた仕事は「EPSON」という文字を切ることでした。

 

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